適当に駄文。
書き物は妖怪メイン・・・でもないかも。
TRPGとか電源ゲーとかの話も。
+ + + + + + + + + +
さそい
僕がその漁村を訪れたのは、夏の自転車旅行の最中のことだった。
学生時分の、贅沢な時間の使い方だった。
行き先も決めずに気のむくまま、自転車をこいで一週間ほどたったときのことだ。
その村の第一印象は、陰気なところだなぁ、だった。
昼の暑い盛りで、若者は漁にでも出ているのか姿は見せず、時折見かける老人たちもすぐに姿を消した。
今考えると、老人たちが姿を隠すのは、夏の日差しを避けてのことだったのだろう。
しかしその時の僕には、彼らが僕を避けているように感じられた。
猫背気味の老人たちは、田舎特有のエラの張った角ばった顔の中で大きな目玉をギョロつかせ、僕のほうを警戒するように見やりながら物陰に隠れた。そう思われた。
こんな気味の悪い場所はさっさと通り過ぎてしまおう、と心に決めた僕の前に、しかしその決意を嘲笑うかのように、あの旅館が現れたのだった。
まさに、現れたという言い方が正しい気がした。
貧相な民家が立ち並ぶ中に、その旅館は民家を押しのけるようにして建っていた。同じ木造の建物でもここまで風格が違うのかと、「古い」と「年季が入った」という言葉がかくもかけ離れたものであったかと、そう僕に思わせた。
そしてあの女将。
屋号か縁起担ぎでもあろうか「くる家」と書かれた看板の下で、陽炎たつ道に水を撒いていた歳若い女将。
彼女の柄杓を振るう白い手首の動きが、僕の足を止めた。
女将は水を撒く手を止め、僕と僕の自転車の荷物を見て、微笑んで言った。
「ご旅行ですかぁ?」
冷えた麦茶とともに出された小さなパンフレットが、僕の目を引いた。
旅館「くる家」の所在地、つまりあの陰気な漁村の地名がおもしろかったのだ。
「猫住、ねこずみ、ですか。おもしろい名前ですね」
たった一人でこの旅館を切り盛りしているという女将は、僕の言葉に口元を隠して笑った。
「見ての通りの海の村ですしぃ、魚が獲れるから猫も多かろう、と。でも」
「でも?」
「ねこずみ、じゃあありません。いぬすまず、と読むんですわ」
魚が獲れるから猫が住む、猫が住むから犬住まず、ということか。
しかし僕は漢字の読み方よりも先に、その名の響きのほうが面白かった。
ひなびた漁村、排他的な村人、そして「いぬすまず」。連想するなというほうが無理だったろう。
思わず漏れた僕の笑みに、女将が目を留めて言った。
「あら、そんなに面白かったですか」
「ああ失礼、似たような地名を聞いた事がありましてね」
女将は僕の答えに納得したように頷いた。
「外人さんの小説ねぇ。そう言う人がよう居ますねぇ」
「ご存知でしたか」
「前に来たお客さんに見せてもろうて。でもわたし、あの本嫌いですぅ」
そりゃまあ気持ちのいい話ではありませんしね、と返そうとした僕の耳に、予想外の言葉が聞こえた。
「神さんのこと悪ぅ言って、気分の悪い話でしたぁ」
絶句した僕に気付きもしないのか、女将は言葉を続けた。
「村のもんが居なくなったの、屋敷の人が殺されたのって、ただの神隠し、人身御供でしょう。そりゃ数は多くないですが、日本じゃそんな珍しい話でもないでしょう」
なるほど、田舎者特有の怪奇現象への割り切り方か。こういう地方では、まだそういった神秘と付き合いながら生きているのかもしれない。
しかしあの小説の面白さはそこではあるまい、と僕は思った。それでも女将は話を続けた。よほどあのシリーズが嫌いなものか。
「だいたい神さんが怖い、気持ち悪い言うんがおかしぃんです。神さんが何考えてるのかなんて、人間にはよぅ分かりません。当たり前です。そんなんで怖がってたら、お祭りにも行けませんわ」
「いやまあ、あれを書いたのは西洋人ですからね」
「あらぁキリスト教の神様も、自分勝手に洪水おこしたり街焼いたりしてますけど」
答えに詰まった僕に、女将はちょっと苦笑してみせた。
「ごめんなさいねぇ、話し込んでしまいましたわ。晩御飯は船が帰ってきてから献立考えますけど、お魚食べられんなんてことはないですか?」
「あ、いえ、なんでもいただきます。食べられないものはありません」
しどろもどろに答えた僕に、女将は今度は苦笑ではなく、本当に笑って見せた。
窓から差し込む月明かりが、女将の瞳に反射した。先ほどまで僕と絡み合っていたほっそりした白い肢体は、布団の陰に隠れて見えなかった。
「こんな村に住んでますとなぁ、どうしても信心深くなります」
「村を出ようと思ったことは?」
「誰かいい人が連れてってくれるんやったら考えましょか」
僕は苦笑して煙草の煙を深く吸い込んだ。
窓のほうへ視線を向けると、月に照らされた海が、こちらを手招くようにくろぐろとうねっていた。
背後から女将の声が聞こえた。
「こういう田舎に引っ込もうとか思いません?」
「旅行中に立ち寄るのは好きですけどね」
僕に田舎暮らしはできないだろうと、その時は思っていたのだった。
「住めば都といいますけどなぁ」
「いろいろ捨てがたいものがありまして」
僕の答えに女将は拗ねた声を上げた。なまめかしく白い腕が布団の奥から伸びて、僕の腕を絡め取った。
僕は煙草を灰皿へと押し付けて、白い腕が誘うままに引き込まれた。
闇の奥へ、そのまた奥へ。
翌日、朝食を終えて旅立とうとする僕を、多くの瞳が見送った。
無論ひとつは女将の視線だったが、しかしあの無愛想な村の老人たちがそろって僕の背中を見送っていたのは、ひじょうに不気味であった。
あの当時は何故彼らが僕を無言で見送るのかわからなかった。わからなかったから怖かった。自分の知らない感情を彼らが秘めているようで、恐ろしくてたまらなかった。
いまならば、歳経たいまならば、彼らの気持ちがよく分かる。
彼らが僕を歓迎していたこと、僕が去ることを無念に思ったこと、そしてそれを表に出すのが僕に重荷に感じられるであろうという配慮。
あの後、旅先で幾度も彼らの視線を感じた。彼らの足音を聞いた。
しかし彼らは静かに、ただ黙って僕を見守るだけであった。できるだけ自分たちが僕を追いかけていることを知らせまいと、僕をどれだけ大事に思っているのか僕自身に悟らせまいと、ずっと静かに追い続けていた。
いや、もしかすると、彼ら幾人かはあえて気配を漏らしたのかもしれない。自分たちはここにいるのだぞ、と。戻りたければそう言えば良いのだぞ、と。それを無言で示してくれていたのかもしれない。
歳経た今、彼らの想いに気づいた今、そして都会の喧騒に疲れた今、僕は彼らの誘いを受けようと思っている。
いや彼らは誘ってなどいない。
僕の意思を尊重し、ただ自分たちの願望も捨てきれず、ただ僕をずっと物陰から待っていただけだ。
しかし今になって僕をあの猫住の村へ誘う最大の理由は、村人達のひたむきな、そして静かな期待ではなかった。
夢を見る。
海の夢だ。
くろぐろとうねる海のさなかから、あの女将の生白い腕が僕を誘うのだ。
闇の奥へ、そのまた奥へ。
僕がその漁村を訪れたのは、夏の自転車旅行の最中のことだった。
学生時分の、贅沢な時間の使い方だった。
行き先も決めずに気のむくまま、自転車をこいで一週間ほどたったときのことだ。
その村の第一印象は、陰気なところだなぁ、だった。
昼の暑い盛りで、若者は漁にでも出ているのか姿は見せず、時折見かける老人たちもすぐに姿を消した。
今考えると、老人たちが姿を隠すのは、夏の日差しを避けてのことだったのだろう。
しかしその時の僕には、彼らが僕を避けているように感じられた。
猫背気味の老人たちは、田舎特有のエラの張った角ばった顔の中で大きな目玉をギョロつかせ、僕のほうを警戒するように見やりながら物陰に隠れた。そう思われた。
こんな気味の悪い場所はさっさと通り過ぎてしまおう、と心に決めた僕の前に、しかしその決意を嘲笑うかのように、あの旅館が現れたのだった。
まさに、現れたという言い方が正しい気がした。
貧相な民家が立ち並ぶ中に、その旅館は民家を押しのけるようにして建っていた。同じ木造の建物でもここまで風格が違うのかと、「古い」と「年季が入った」という言葉がかくもかけ離れたものであったかと、そう僕に思わせた。
そしてあの女将。
屋号か縁起担ぎでもあろうか「くる家」と書かれた看板の下で、陽炎たつ道に水を撒いていた歳若い女将。
彼女の柄杓を振るう白い手首の動きが、僕の足を止めた。
女将は水を撒く手を止め、僕と僕の自転車の荷物を見て、微笑んで言った。
「ご旅行ですかぁ?」
冷えた麦茶とともに出された小さなパンフレットが、僕の目を引いた。
旅館「くる家」の所在地、つまりあの陰気な漁村の地名がおもしろかったのだ。
「猫住、ねこずみ、ですか。おもしろい名前ですね」
たった一人でこの旅館を切り盛りしているという女将は、僕の言葉に口元を隠して笑った。
「見ての通りの海の村ですしぃ、魚が獲れるから猫も多かろう、と。でも」
「でも?」
「ねこずみ、じゃあありません。いぬすまず、と読むんですわ」
魚が獲れるから猫が住む、猫が住むから犬住まず、ということか。
しかし僕は漢字の読み方よりも先に、その名の響きのほうが面白かった。
ひなびた漁村、排他的な村人、そして「いぬすまず」。連想するなというほうが無理だったろう。
思わず漏れた僕の笑みに、女将が目を留めて言った。
「あら、そんなに面白かったですか」
「ああ失礼、似たような地名を聞いた事がありましてね」
女将は僕の答えに納得したように頷いた。
「外人さんの小説ねぇ。そう言う人がよう居ますねぇ」
「ご存知でしたか」
「前に来たお客さんに見せてもろうて。でもわたし、あの本嫌いですぅ」
そりゃまあ気持ちのいい話ではありませんしね、と返そうとした僕の耳に、予想外の言葉が聞こえた。
「神さんのこと悪ぅ言って、気分の悪い話でしたぁ」
絶句した僕に気付きもしないのか、女将は言葉を続けた。
「村のもんが居なくなったの、屋敷の人が殺されたのって、ただの神隠し、人身御供でしょう。そりゃ数は多くないですが、日本じゃそんな珍しい話でもないでしょう」
なるほど、田舎者特有の怪奇現象への割り切り方か。こういう地方では、まだそういった神秘と付き合いながら生きているのかもしれない。
しかしあの小説の面白さはそこではあるまい、と僕は思った。それでも女将は話を続けた。よほどあのシリーズが嫌いなものか。
「だいたい神さんが怖い、気持ち悪い言うんがおかしぃんです。神さんが何考えてるのかなんて、人間にはよぅ分かりません。当たり前です。そんなんで怖がってたら、お祭りにも行けませんわ」
「いやまあ、あれを書いたのは西洋人ですからね」
「あらぁキリスト教の神様も、自分勝手に洪水おこしたり街焼いたりしてますけど」
答えに詰まった僕に、女将はちょっと苦笑してみせた。
「ごめんなさいねぇ、話し込んでしまいましたわ。晩御飯は船が帰ってきてから献立考えますけど、お魚食べられんなんてことはないですか?」
「あ、いえ、なんでもいただきます。食べられないものはありません」
しどろもどろに答えた僕に、女将は今度は苦笑ではなく、本当に笑って見せた。
窓から差し込む月明かりが、女将の瞳に反射した。先ほどまで僕と絡み合っていたほっそりした白い肢体は、布団の陰に隠れて見えなかった。
「こんな村に住んでますとなぁ、どうしても信心深くなります」
「村を出ようと思ったことは?」
「誰かいい人が連れてってくれるんやったら考えましょか」
僕は苦笑して煙草の煙を深く吸い込んだ。
窓のほうへ視線を向けると、月に照らされた海が、こちらを手招くようにくろぐろとうねっていた。
背後から女将の声が聞こえた。
「こういう田舎に引っ込もうとか思いません?」
「旅行中に立ち寄るのは好きですけどね」
僕に田舎暮らしはできないだろうと、その時は思っていたのだった。
「住めば都といいますけどなぁ」
「いろいろ捨てがたいものがありまして」
僕の答えに女将は拗ねた声を上げた。なまめかしく白い腕が布団の奥から伸びて、僕の腕を絡め取った。
僕は煙草を灰皿へと押し付けて、白い腕が誘うままに引き込まれた。
闇の奥へ、そのまた奥へ。
翌日、朝食を終えて旅立とうとする僕を、多くの瞳が見送った。
無論ひとつは女将の視線だったが、しかしあの無愛想な村の老人たちがそろって僕の背中を見送っていたのは、ひじょうに不気味であった。
あの当時は何故彼らが僕を無言で見送るのかわからなかった。わからなかったから怖かった。自分の知らない感情を彼らが秘めているようで、恐ろしくてたまらなかった。
いまならば、歳経たいまならば、彼らの気持ちがよく分かる。
彼らが僕を歓迎していたこと、僕が去ることを無念に思ったこと、そしてそれを表に出すのが僕に重荷に感じられるであろうという配慮。
あの後、旅先で幾度も彼らの視線を感じた。彼らの足音を聞いた。
しかし彼らは静かに、ただ黙って僕を見守るだけであった。できるだけ自分たちが僕を追いかけていることを知らせまいと、僕をどれだけ大事に思っているのか僕自身に悟らせまいと、ずっと静かに追い続けていた。
いや、もしかすると、彼ら幾人かはあえて気配を漏らしたのかもしれない。自分たちはここにいるのだぞ、と。戻りたければそう言えば良いのだぞ、と。それを無言で示してくれていたのかもしれない。
歳経た今、彼らの想いに気づいた今、そして都会の喧騒に疲れた今、僕は彼らの誘いを受けようと思っている。
いや彼らは誘ってなどいない。
僕の意思を尊重し、ただ自分たちの願望も捨てきれず、ただ僕をずっと物陰から待っていただけだ。
しかし今になって僕をあの猫住の村へ誘う最大の理由は、村人達のひたむきな、そして静かな期待ではなかった。
夢を見る。
海の夢だ。
くろぐろとうねる海のさなかから、あの女将の生白い腕が僕を誘うのだ。
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プロフィール
HN:
双葉稀鏡
性別:
男性
趣味:
TRPG
自己紹介:
いつもは別のハンドルを使っている。
某MMOの属性武器の通称と同じなのは嫌なので、こっちを名乗る。
某大学RPG研究会OB。
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