・敵を価値基準の違う思想家としてみた場合
いきなりぶっちゃけるが「多人数PC VS 1人のラスボス」という形は正義っぽくねーよな。
どんな大義名分があろうと、いや大義が有るからこそそれは「違う価値観同士の抗争」に見える。
そして人数差により嫌われがちな「大多数の幸せのために少数の思想を踏みにじる」行為に見えるわけだ。
それ自体を嫌うわけではない。それは戦争、それを否定はしない。
ただそこで起こっている事象は、多くのPCが否定しようとしたことではなかろうか?
・敵を悪としてみた場合
前述の思想家としてではなく、絶対的な悪としてみた場合。
で、悪ってなにさ?ってことになるので下記2パターンに分けて見る。
・敵をどうしようもねー鬼畜野郎としてみた場合
「人を苦しめるのってタノシイイィィっ!」とかいうクソ鬼畜馬鹿野郎死んだほうがいいよおまえ、という場合。
改心することもなく、ただ自分の存在意義のように悪事をなす場合も含みます。
(一部の)マローダー・ジャーム・深淵の魔族とかですかね? もう「そういう存在」になった人とかです。
こいつらは障害物です。障害物の排除に感動はないわな。あるとすれば「強敵に勝った」という満足か。
そういうバトルゲーなら問題無いと思うですが。財宝の前のドラゴンとかな。
でも障害物なのよね、出会って「うわぁ・・・」とウンザリすることはあっても、ドラマも怒りも悲しみもなく、
ただ排除するのみです。なんども言うがバトルゲーやダンジョンゲーなら問題無い。
・敵を生存競争における上位種と見た場合
わかりやすく言えば「生きるためにPCを襲う」吸血鬼とかになるでしょうか? 人間から見れば悪ですな。
PCたちは生きるために闘わなくてはなりません。うん、つまり上記の障害物と同じ扱いを受けてしまうのです。
出会った事が不幸、もう無かったことにはできない、和解の道は無い。
えーとなんか他にも場合分けした気がするけど忘れた。
つまりナニが言いたいかっつーと、演出系システムにおいて魅力的な悪役ってどんなんさ?ってこと。
正義の味方を演じられる、自分の美学を出すことが出来る、そういう場合のなんと少ないことか。
(もちろんこれは俺の場合であり、他の人にとっては違うかもしれない。でも多対一の殴り合いに正義や美学は感じない・・・かといって敵を多人数にすると処理が重くなるわ、正義も悪もない戦争状態になるわ)
PCの過去とからめて、などという演出はわからんではないのだが
・・・・・・こう書くとなんだが、「もはや障害物と化した」昔の友人を殺す時にどこまで感傷的になれるだろうか?
「どちらかが死なねばならない運命」の恋人に刃を向けるとき、どこまで躊躇することができるだろうか?
ここまで書いて思ったのですけど
俺がFEAR系の演出ゲーム苦手なの、
全部「悩む時間を極端に減らしてしまう」俺の性格が駄目なのですかっ!?
基本的に脊髄反射の人だからなぁ・・・・・・
もしくは問題を簡略化しすぎて考えるこの思考法がいかんのか・・・・・・
1. n PC : 1 GM だから GM が正義の味方をやる.
2. 1 PC : n GM なら GM の処理が重くない.
まあ,1 と 2 は本質的に同じことを視点を変えて見ているだけだけど.
FEARゲーに限って言えば、トループ(あるいはそれに類するルール)を使えば難しい話ではないですな。
まあ、ただの無双アクションになってしまうというのは否定しませんがw
某MMOの属性武器の通称と同じなのは嫌なので、こっちを名乗る。
某大学RPG研究会OB。
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