「意識的になにも考えない」というのは、仏教における悟りに至る階梯に似ている。
「悟ろう」とする欲望、「無我に至る」という我執、意図的にある段階へ到達しようとする行為そのものが、その段階へ進むための障害となる。
「宇宙の意思と一体化するということは魔術師の進むべき道ではあるが、良い魔術師というのは自分の意識が強固なものであるので、その道を極めることは非常に難しい。ということをクロウリーが言っている」みたいなことを、かつて先輩に聞いたような気がする。つまりはそれだ。
「いかにすれば悩まないか」ということを深く考えるということは、すでにドツボにはまっているわけである。じゃあどうすればいいのか、というと、もうそんなもん個人の観念なり何なりに従って「こうする!」と決め付けるしかない。「ほんとうにそれでいいの?」と他人に聞かれても「そう決めたんだ!」と力強く言い切るのだ!
嘘です。これもまたドツボ。「これでいいのかな?しらねーなぁ」と軽くいなしながら進むのが正解。もっともこれはあくまで悩まない方法であり、進む先の落とし穴を回避する方法ではない。ちなみにこの方法が取れる奴は、すでにその方法を取った段階で悩んでいないと思うので、かなりどうでもいい。
話を戻す。「考えるんじゃない、感じるんだ」ってのは名言であるが、実際の所思考はしてると思うのだね、俺は。ただしそれが言語体系に従って思考され、論理的に答えを導き出そうとする思考法ではないだけだと思う。まあこのへんは言葉の定義やらなにやらが入ってくるが。
直感的に動くというのは、実際の所論理的な道筋を通ってはいないかもしれないが、ちゃんとした思考だと思っている。これを突き詰めていくと、思考時間が極端に短い、俺としては理想的な脳が持てるのではないかと考える。
このため時折「言葉にせずに感覚的に考える」練習をやっているわけであるが、TRPGのさいなどにこの訓練が実を結んで行動宣言が異常に早くなったりする場合があるのである。たいてい「何するかな、この人は!?」と言われるが・・・・・・うん、まあ思考が早いのと正確なのは別問題よね・・・・・・。
同じく思考に時間をかけるのと正確なのも別問題なわけで、シミュレート回数を増やせば正確さや応用能力は確かに増そうし、深く追求していけば思考段階を進ませることもできるだろうが、ある程度からはその増加量は微々たる物になると思う。巧遅は拙速に優るのか? 常に、ではない。そういう場合もあるだけだ。拙速を何度も繰り返すほうがいい場合もある。
だったら拙速シミュレートを何度か繰り返して、巧遅代わりにできるんじゃね? (いや、あくまで思考法としての問題であって、芸術作品やらなにやらを作るときには別だけど)スピードは強さだ。悩むことが悪いことではない、悩みつづけて行動しないと後ろから岩が迫ってくる場合が多いだけだ。
悩む。ひたすら短く深く何度も悩む。きっとこれを繰り返していくと、いつか自分でも思考していると感じない時間で解答を導き出すニュータイプになれると信じているよ。
つまるところ、俺に無我の境地なんてものは縁遠いわけだ。悟りに至ることは出来ないし、至る必要も感じない。だからこそすぐ隣に悟りの境地があるのだろうと思う。我執を捨てようという我執を忘れること、悩むまいと悩むことを放棄すること、つまるところ人生を軽く見ること。軽く見るから面白く、面白いから貴重なのだ。
ぐるぐる回るウロボロスの蛇~
さてここまで読んでわけがわからないと思った人、気にした時点で負けなんです。それをこの文章から読み取れるまで読み直しなさい。
読んで「なるほど言いたいことは理解した」という人、この文章の内容がまったくの無価値であることも理解していますか?
「また阿呆なこと書いてるなぁ」と思った人。おそらくただそれだけが正解。腹立たしくも、正解。
某MMOの属性武器の通称と同じなのは嫌なので、こっちを名乗る。
某大学RPG研究会OB。
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